1月9日(火)給食開始
年末の生徒のいない学校も悪くはないですが、やはり子どもたちの声が聞こえてくるのは学校が生きているようで活力が湧いてきます。嬉しくなって「須田中日記」も一日で連発してしまいました。地震の影響を受けている各地の子どもたちにも、一日も早く元の学校生活が戻ることをお祈りしています。
3学期も初日から給食が始まりました。メニューは、ソフトめん、カレー南蛮汁、じゃがコーンチーズ、牛乳の計818キロカロリーです。1月は明日が「鏡開き献立」、24日から給食週間も予定されています。今年も楽しいお昼の時間にしていきましょう。 1月9日(火)始業式の前に黙祷について話しました
わたし(校長)が皆さんと同じ中3三学期、始業式の出来事です。
社会科の先生が、冬休みの間に病気で亡くなりました。それを受けて1000人近い生徒で一斉に黙祷を行いました。わたしは恥ずかしながら黙祷の意味を理解していませんでした。その黙祷は、黙祷というにはあまりにもかけ離れた、形ばかりのものになっていました。恥ずべきことのひとつに「無知」があります。知らないということは、愚かで恥ずかしいことです。その当時は、考えが及びませんでした。 黙祷とは、世界共通の、声を立てずに祈る行為のことを言います。これは「自分を見つめ直す時間」であり「自分の心を整理する時間」でもあります。目をつぶり、一定時間無言で祈りを捧げます。一斉に行う場合には、アナウンスに従って起立して目をつぶります。集中できれば、目は必ずしもつぶらなくてもいいです。 では、わたしたちが黙祷することに意味はあるのでしょうか。 今、能登で被災して亡くなった多くの方々、苦しんでいる方々の立場になって考えてみてください。 わたしたちに何がしてほしいのか。わたしはそれらのひとつに「忘れない」ということがあるのだと思います。四六時中、能登のことを考えるのはひじょうに苦しく、難しいことです。わたしたちには何より、基本である目の前の日常生活があります。その毎日をしっかりと生きることは最優先すべきことです。 そして、ある時に、皆で能登の方達の、少しでも安らかな未来を祈ることは、何もできることはないと開き直った人間の姿よりも、ずっと人間らしい姿であると思うのです。 この先、皆さんの長い人生の中で、何度か黙祷する機会が訪れると思います。その度に今日のわたしの話を思い出してくれたら、ありがたいです。 1月9日(火)始業式の話
大変な年の始めとなりました。皆さん、本年もよろしくお願いいたします。
能登大地震、あの突然鳴り響く、嫌な警告音と共に、生命の危険を感じた、20年前の中越地震の記憶が一気に甦ってきました。 誰しも、自分じゃなくてよかったという気持ちが、必ず、あります。 人間とは、そういう薄情な部分をもっている生き物だと自覚すべきだと思います。 そして災害に直面したその時は、頼りになるのは自分しかいないということです。自分で頑張らなければ、どうにもなりません。その切迫した気持ちは、安全な場所から見ている人達に、到底理解することは、できません。 わたしが中越地震で命の危険を感じた、また震災を離れた場所で知って安心した、両方の経験から感じたことです。 だからこそ尚更、苦しい立場の人達に、思いを寄せることが大切なのだと思います。 まずわたしたちが、すべきことは、慌てず、冷静に、自分達の生活をできるだけ通常に廻していくことです。それができて初めて、他の人を助ける余裕が生まれます。 3学期は、新年度への力を試し、蓄える学期です。3年生はそれぞれの未来の実現に向けて皆で立ち向かうとき、2年生は様々なバトンタッチを終え、待ちに待った修学旅行もある学期、1年生はいよいよ中学時代ど真ん中、後輩を迎える準備に入る学期、それぞれが別々の山を、それぞれの高さを目指して、登っていってほしいです。 冬は、雪も寒さも、まだまだこれからが本番です。寒いけれど、気持ちは温かく、明るく楽しい三学期にしていきましょう。 1月9日(火)始業式&生徒会委嘱式
3学期が始まりました。まずは新学期決意の言葉を1年生西村悠愛さん、2年生小林茉央さん、3年生西村香捺さんから発表してもらいました。それぞれに学習、修学旅行など具体的な目標を持って頑張ってもらいたいです。
その後は新しい生徒会執行部、専門委員長の委嘱式が行われました。渡邉会長から委嘱状を手渡され、さらに気持ちが引き締まった瞬間でした。 1月5日(金)冬晴れの粟が岳です
雲ひとつない空に粟が岳が輝いています。
今日は3年生が実力テスト、部活動はバレー部が久々の活動となりました。 能登の犠牲者は相当な数になっています。全国的に火事も多いような気がします。お互いに安全に気をつけて、あともう少しある冬休みを有効にすごしていきましょう。 1月4日(木)ひとりでも多くの命が救われますように…
大変な年の始めとなりました。屋上から粟が岳を見ました。
目に焼き付いているニュース映像があります。 地震で、最愛の二人の娘を失った父親の姿。人は悲しみを越えると表情を失ってしまう。ほんの僅かな傾斜、時間のタイミングの違いが人の運命を分ける。 能登の、大半の、慎ましく生きてきた人達に、何の罪があるのか。神様はいるのか。 わたし(武井)は中越地震の夜、家族を外に出し、なおも大きく揺れ続ける天井を見ながら、諦めた眼で、早く逃げろと言う母親に、これで死んでも本望だ、と息子の役目を果たすことができました。輪島の人達には、そんな考える時間すら許さない、あまりにも一瞬の出来事でした。どれほどの後悔と無念が続くのでしょう。 9日は黙祷から始めます。須田中生に、黙祷の意味を説明した上でやらせていただきます。そして、わたしたちになにができるのか、一緒に考えましょう。 1月2日(火) 地震の翌日
須田中関係者の皆さん、昨日は大きな地震が起き、驚きや不安な気持ち等様々あったことと思います。
まだ余震の恐れがありますが、ご自身の安全を第一にお過ごしください。 翌日の学校の様子を確認しました。異常は見られませんでした。4日以降の学校が通常に進められるよう、引き続き確認していきます。 万一、被災地に滞在していたり、避難していたりする方がおりましたら、校長まで連絡をお願いします。 お正月期間、冬休みももう少しありますので、休みならではの時間を可能な限りお過ごしください。 令和6年1月1日(月)皆さん、自分とご家族の安全を第一に!!
須田中関係者の皆さん、あけましておめでとうございます。
夕方大きな地震がありました。まずは自分とご家族の安全を第一に考えてください。学校は揺れでプールの水や水槽の水が溢れました。校内は幸い大丈夫でした。今後も地震の可能性がありますので引き続き注意してください。なお、須田中学校は避難場所にはなっていません。 |
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